考察大好き、サドル・ドーナツです。
考えて、感じろ
冒頭の挨拶でも申し上げましたが、僕は考察することが大好きです。特に、そこに込められた人の気持ちを考えることが。だから、考えても考え尽くせぬような底の見えない作品が好きです。
前回の『ゴーゴー幽霊船』もそうですが、今回の『vivi』も中々に謎の深い曲です。そもそも「vivi」とは何かということだったり、何故愛している「ビビ」と別れなければならないのかだったり、我々が考える余地がものすごくあると思います。
パッと聴いてとても切ないと感じられ、随所に込められた色んな意味を感じることでその切なさが深まっていく、そんな曲です。
僕は考え続ける
歌全体から感じられるのは愛する者との別れが悲しいということと、それに対して言葉をどうしても告げられない「僕」の苦悩。
言葉にすると
嘘くさくなって
形にすると
あやふやになって
言いたい言葉はあるのに、言葉に出来ない理由ばかりが思いつく。言語化というものの矮小さを、限界を、「僕」はどうしても乗り越えられない。
愛してるよ、ビビ
繰り返し出てくるこのフレーズ。多分、これが「僕」が「ビビ」に伝えたい言葉。でも、この言葉だってきっと「僕」が伝えたい形じゃない。
言外の「ビビ」への愛だけがただただ積み重なっていく。
言葉を吐いて
体に触れて
それでも何も
言えない僕だ
結局のところ、言葉を出して「ビビ」に触れてみても、何かが伝わっていない。心の奥に眠っている本心の部分を伝える術はない。そんなもどかしさが伝わってきます。
さよならだけが
僕らの愛だ
『さよなら』。それでも言葉に出せたのか、それすら言葉に出せなかったのかはわからない。ただ「別れ」だけが彼女に対して示せる愛だった。
詳しい事情まではわかりませんが、きっと尋常ではない別れだったのでしょう。
その別れの切なさが歌全体に広がっていて、でもそれだってきっと伝えたいことの全部は伝わってないんです。
ジオラマの片隅で
溶け出した琥珀の色
落ちていく気球と
飛ぶカリブー
足のないブロンズと
踊りを踊った閑古鳥
忙しなく鳴るニュース
「街から子供が
消えていく」
泣いてるようにも歌を歌う
魚が静かに僕を見る
Cメロの部分です。この部分を見ると、『気球』『カリブー』『閑古鳥』『街』『魚』と『vivi』が収録されているアルバム『diorama』に関係する言葉が多く出ています(本当はもっとあるかもしれませんが、僕に思いつくのはこれくらいです)。
後々記事にしたいのですが、僕は、『diorama』の曲は全部一つの街で起きた出来事で、我々はそれをジオラマを見下ろすように観ているのだ、と考えています。
この曲の切なさも、見下ろせば街の一部分なのです。それもまた無情さがあるというか、それでも愛おしさがあるというか……なんだか物語を俯瞰する神様のような気分になった気分になってしまいます。
きっとこれが米津玄師が伝えたいことそのものではないでしょうし、僕が伝えたいことはきっと全部は伝わっていません。
我々はきっとどこかでそれを心に刻んでおくべきなんでしょう。
