定期的に麻婆豆腐で腹を痛めつけるサドル・ドーナツです。
退廃的でノスタルジックな回想
この曲は、きっと全てが終わった後の曲なんだなぁと思っています。なんとなくそう思います。多分、この曲がものすごく過去の匂いがするからだと思っています。僕は音楽についての語彙があまりないのでぼんやりとした言い方にはなりますが、何か古いラジオを聴いているような古さを曲調から感じ、歌詞からは昔を懐かしむような気配を感じます。
そして、回想として思い出すのは、まだ大人にはなっていない思春期の頃なのでしょう。
好きなことが 少なくなり
嫌いなことが 沢山増えた
言いたいことが だんだん増えて
言えないことが 沢山増えた
覚えたことが 沢山増えて
忘れたことも 沢山増えた
人生のプラスの部分だけが増えていくのではなく──むしろ減ることもあって──マイナスの部分が増えていく。それも時間と共に。そんな有様が繰り返し繰り返し歌われます。
とても鬱々としてて、悩みのような戸惑いのような感情が読み取れるのは自分がそうだったからでしょうか。実際はもっとフラットに物事を見てそうですよね。ただ、この曲は色んなことを思い起こさせてくれます、少し苦い色んなことを。
窓に滲む雲を見ていた
皆の背中を見ていた
窓に滲むような雲を見るように、皆の背中が見える。多分、遠くに見えるんでしょうね。ここは明確な苦悩を感じます。置いて行かれている感覚。ここにいるのは自分だけという孤独感。
「何処にも行けない私をどうする?」
「似ている二人をあなたはどうする?」
多分これは「君」からの問いかけ。皆とは違う「自分」にとって大切な存在である「君」。その問いに対する具体的な答えは歌の何処にもない。唯一あるのは──
些細な嘘から炎症が起きた
ずっと微熱みたいに纏わりついて
──その問いかけに、「自分」は嘘で答えたという、辛い結末。そんな予想ができます。その事実は微熱のような纏わりついて「自分」から離れずに苦しませ続けてくる。『恋と病熱』の『病熱』の部分の一つがここなのでしょう。
この歌は1番サビ、2番サビ、ラスサビと段々と熱の様子が悪くなっていき、ついには目が見えなくなるまで至ります。熱になるまでの感情の昂りが見て取れます。ただ、その感情が何なのかは明確にはされてません。僕は、わざわざ『恋と病熱』と分けるくらいなので恋や愛ではないのだと思います。人を苦しめる感情──きっとそれは後悔なのだと思います。
誰も嫌いたくないから ひたすら嫌いでいただけだ
皆のこと 自分のこと 君のこと 自分のこと
ここで歌詞上では初めて、「君」が出てきます。皆とは別に特別な存在であることが示唆されています。それでも「自分」は、皆とまとめてひっくるめて「君」のことを嫌いでいたと言っています。
その本心では誰も嫌いたくないと思いながらも、誰も彼もを嫌いでい続けた「自分」。その矛盾こそが、『病熱』である後悔の発生源なのだと思います。もしあの時正直に言えていれば、これほど苦しむことはないのだろう。そんな気がするのはそういう経験がある私だからこそでしょうか。またこの曲は自分の痛いところを思い起こさせてくれます。
『恋』
『病熱』の部分は僕なりに解釈してみましたが、ではこの曲における『恋』とは何なのか。
この曲、恋とは一度も出てきていませんが、繰り返し出てくるフレーズがあります。
愛していたいこと 愛されたいこと
多分、この相補的な愛こそがこの曲にとっての『恋』なのだと思います。これこそが「自分」にとって理想の『恋』の形。言ってみれば簡単なことです。
しかしこれに続く言葉が。
空っぽになるまで 詰め込んで
棄てられないまま 赦しを請う
望んで生きることを 許してほしい
一つ目は、空っぽになるまで詰め込む。多分、「自分」が空っぽになるまで「君」に愛を詰め込むということだと思うのですが、空っぽという言葉からそこに見返りはないのだと思います。これは望む『恋』の形ではないのでしょう。
二つ目と三つ目は、この『恋』を結局諦めきれずに、許しを請うという内容。これこそ後悔の話で、嫌いでいたことを後悔しつつ、まだ「君」に恋をしているわがままな自分を許して欲しい、そういうことなのだと思います。
「君」ってどんな人?
でも、結局のところ「君」とはどんな人なのだろうか。「自分」が『恋』をしていることはわかっているが、具体的にはどう思っているのだろうか。
その答えは、動画では見つからないと思います。YouTubeの『恋と病熱』はCメロの後半から先が欠けているバージョン。しかし、アルバムを買って聴くとその続きが聴けます。
そこで真っ先に出てくるのが。
君がいないと 色んなことが
色んな風に嫌いになって
他の部分と比べて優しく歌われるこの部分。この部分こそ、僕は『恋と病熱』の中でも最も重要な部分だと思っています。だからこそ、動画ではここの部分で切って、アルバムを買った人にだけ聴けるようにしてるのだと思います。
「君」がいないと、色んな物が嫌いになってしまった。「自分」にとって「君」は世界にとって無くてはならない存在で、それが欠けた世界は何処か色褪せてるようで好きになれない。そんな最大級の経緯にも似た愛が、「自分」から「君」に向かって存在しています。
こんな大事な部分を秘匿するなんて、米津玄師も憎いことしますよねー。
ただ、こう歌われているということは、「自分」は「君」のそばにはいない、ということなのだと思います。「君」の欠けた色褪せた世界にずっと「自分」は生きているのだと思います。
最後に
長々と語ってしまいましたが結論としては、米津玄師のチャンネルから投稿されているこの動画ではこの曲の魅力は伝わり切っていないんですよ! だからみなさん! 米津玄師1stアルバム『diorama』を買って、『恋と病熱』をフルで聴いて味わいましょうよってことなんですよ!!
