SaBaCaN ~趣味の缶詰~

とりあえずは自分の趣味に対するレビューを書いていきます。

MAD HEAD LOVEを聴いて〜その擦り傷も、青痣も、きっと愛だ〜

 1日で最大で3つ、映画館で映画を観たことがあるサドル・ドーナツです。


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YANKEE期の2曲目

 非常にカオスで、非常に面白い曲。米津玄師の頭の中はわからないが、この曲が2ndアルバム『YANKEE』の路線を決定づけたと言っても過言ではないかもしれない。

 四方八方からびっくり箱が襲いかかってくるようなビョンビョンガチャガチャ具合。歪んでいる音のその歪みの間で縄跳びをしているようなリズム。僕はずっとこの音楽と遊んでいるのです。

 音としてもずっと楽しいですが、その歌詞もすごい。すごく考えられているようで、すごく稚拙で、それでいてすごく哲学的。こちらが角度を変えれば全く違う様相を見せる玉虫色の世界観。僕が10年近くこの曲に惚れ込んでいる理由でもあります。

マグマのような愛

ああ 煮えたぎる喉の奥

どんどろりんと言葉が溶けていく

もう愛から愛へ愛されて愛まで

脳みそ全部そんな感じ

 言葉が溶けて熱を持っているようです。この『どんどろりんと』というリズムがとても好きです。歌うと滑るように口から出て来ます。

 じゃあなぜか熱を持っているかというと、やはり愛。どこを見ても愛、脳細胞のどのルートも愛で満たされている。

 ですが、それでも言葉は喉の奥に流れ込んでいるようです。何か素直には言えない関係性のようです。

ああ あの日のことを思えば

真っ黒焦げ痛みで目が冴える

もう愛から愛へ愛されて愛まで

年がら年も引っ切りなし

 あの日。それが何を指すかは定かではないですが、『真っ黒焦げ』、直前の部分と同じく熱に関するもので自分の体は痛めつけられています。やはりここでも愛、愛、愛。それが年中起こっていて、いつだってへばりついて離れないことが伺えます。

呪われた僕らは虜になって

きっと愛だ恋だを忘れられないままでいる

愚かさに囚われもう戻れないな

そうさ修羅の庭にて君と二人きりで

殴り殴られ乱闘中!

 呪い。サンタマリアでは二人が結ばれないことが呪いだとされていましたが、どうやらこの曲では全く違う種類の呪いにかかっているようです。多分二人が結ばれていること自体が呪いだと言われているように思えます。それは腐れ縁と言ってもいいのかもしれません。

サンタマリアではこんなことを語りました↓

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 二人はまだ愛や恋だのと純なことを思っている、無垢な愚かさに縛られているようです。頭ではわかっているようですが、どうしてもそこから離れられない。本当はもっと先へ行きたいのに。そんなもどかしさを感じます。

 そしてそんな二人は、醜い争いが止まないと言われている六道の『修羅』の庭で大乱闘を繰り広げます。もうぶっちゃけるとSEXのことですよねっていう。多分、前回の『サンタマリア』のイノセントな感じとは打って変わって、この曲では語られている『愛』はもっと俗っぽくて、穢らわしいものなんだと思います。多分、性愛というか、それこそSEXと密接に関わってくるような『愛』だと思います。じゃないとあんな隠喩だらけのPVにはしないですよねぇ!?

 とにかく、二人は二人きりで暴力的な行為に貪りつきます。

乱暴なまでに愛

ベイビーベイビビアイラービュー

さらば 思い出せないような

呆然自失の毎晩を

君の全てで爆破して

 茫然自失が正しい字らしいですね。呆然という熟語には驚きのあまりぼんやりするという意味があるらしく、きっと『君』の引力のあまりに『呆然』としてしまっているのでしょう。

 そんなぼんやりとして思い出せない日々も『君』が忘れさせてくれる。多分、この虚しくもあるマッチポンプを描きたいがために、『呆然』と記したのかもしれません。

単純明快 こんなもんだ

スッカラカンの脳で歌うたって

迷妄醜態 全部そうだ

ひっくるめて愛を注いでいたい

 他の物事の正誤や美醜は考えず、それらも含めて『君』の全てを愛そうとしています。

 米津玄師の語る愛って毎回ちょっと後ろ向きではあるんですが、根底にはでっかい愛が眠ってるんですよねー。その中でも今回はかなり真っ直ぐに伝えて来ています。

 ただ、その愛が今回は意図的に乱暴に描かれている気がします。スッカラカンの頭で、とにかく愛を注ぐことに重きを置いていて、細かいことは考えてないような有様です。

ベイビーベイビビアイラービュー

今は痣だらけの宇宙で

愛とも言うその暴力で

君と二人で喧嘩したい

 二人の大乱闘で宇宙までもが痣だらけ。それでも愛という武器を使ってお互いを傷つけ合います。

 色々ある仲なんですかねぇ。喧嘩することもあるけども、結局はそれも愛し合っているからこそという、生傷の絶えない関係。もちろん、この『喧嘩』の中には先ほどの『大乱闘』と同じく、SEXの隠喩が盛り込まれているとは思います。

彼方まで愛

ああ 醜くも地を這って

チンチロリンと言葉を賭けていく

もう愛から愛へ愛されて愛まで

引いては押してとっちらかせ

 

君を見つめてから始まったのさ

こんな嘘も真も白魚の乾いた眼も

それまでの記憶はもう何にもないな

そうさ修羅の庭にて君と二人きりで

騙し騙され混乱中!

 1番とは打って変わって今度は言葉に焦点が当てられています。チンチロリンを擬音のように扱っているのが面白いです。チンチロリン自体が音を語源としているようなので、先祖返りのようなものです。

 ということで、さっきまでが拳での戦いなら、今度は口論です。それでも彼らの間にはどうやっても解けない愛があって、それが破滅的である様が描かれています。

 しかし、『嘘も真も』は分かりますが、『白魚の乾いた眼も』は意味がよく分かりません。白魚は小さいですし、よくしらすとして乾いているイメージがあります。『あなたを見つめてからというものの、眼が点になったように驚きの連続で見開いてしまっていて乾いてしまっている』という解釈を私はすることにしましょう。

ベイビーベイビビアイオンチュー

彼方先までの道中の

バッテンハズレのトンチンカン

君の全てで爆破して

暗雲低迷 擦って揉んで

こんがらがった脳で歌うたって

天真爛漫 蹴って泣いて

どんがらがっしゃ愛憎混在の

 1番サビと違って今度は未来についてのお話。君さえいれば、間違いだらけの道でさえも通っていける。そんな絆を感じます。

 後半部分はもうカオスですよね。二人三脚で走りながらもつれ絡まって転びながら悪態をついて、でもそこには愛がある。笑顔でお互いを罵り合っているのが目に見えて来ます。

ベイビーベイビビアイオンチュー

今はあばら屋の寝室で

恋ともいうその引力で

君とバカンスを謳歌したい

 引力といえばジョジョ6部のDIOを思い出しますねー。人の出会いは引力であるという話でした。

 『君』に惹かれ、そしてそばに居続けるのは、それは引力のためであり、恋のためでもあるという詩的な表現。素敵です。君とくっついていられる間ならば、あばら屋の寝室ででもバカンス気分なのでしょうね。

どこまでも愛

今一人二人 愛の獣になって

傷だらけ 血で塗れ 疲れ果てまた傷つけて

ほら巡り巡る今を貪りあって

擦り切れて 擦り切れて

疲れ果て果て果てど愛している

 暴力的な愛をぶつけ合った結果、二人は血だらけ。お互い体力も尽き果てる。

 ここで登場するのが過去、未来と来て『今』。巡るように朝日が昇りやって来る今日を二人は貪り“合う”。互いが互いに流れる『今』を体感し合っているんです。それほどまでに二人の距離は精神的にも物理的にも近しい。

 二人はぶつかり合い、擦り切れてボロボロになっても、どこまで行っても二人は愛し続けている。

ベイビーベイビビアイラービュー

さらば 思い出せないような

呆然自失の毎晩を

君の全てで爆破して

単純明快 こんなもんだ

スッカラカンの脳で歌うたって

迷妄醜態 全部そうだ

ひっくるめて愛を注いでいたい

ベイビーベイビビアイラービュー

今は痣だらけの宇宙で

愛とも言うその暴力で

君と二人で喧嘩したい

 ここまで来ると繰り返しのこのサビも重みが変わって来ます。

 二人の愛は宇宙級。酸いも甘いも、美も醜も、光も闇も全て愛せる。脳内全部がお互いへの愛で浸されている。

 そう考えると何もかもが直球で、ある意味稚拙な文章にも見えて来る。

 だって全部『愛してる』の意なんですもの。

ベイビビアイラービュー

 めでたしめでたし。

最後に

 いやー、書いてて中毒を起こしそうでした。愛、愛、愛、って書きすぎた気がします。

 でもこう、そんな性愛を詩的表現の中に巧みに隠している作曲表現力の高さに脱帽します。

 意味深だし、多分エロいけど、すごい純粋で直球な曲。

 もうめちゃくちゃですよ。