SaBaCaN ~趣味の缶詰~

とりあえずは自分の趣味に対するレビューを書いていきます。

ポッピンアパシーを聴いて~色は消せない~

 まさかのマリオ映画にフォックス参戦で驚きが隠せないサドル・ドーナツです。


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MAD HEAD LOVEの裏側

 カップリング曲という意味でも、MVの制作現場という意味でも裏側です。流石に曲の内容自体は裏側ではありませんが。

 この曲、非常に珍しいことにアルバムに入ってないのにPVが作られているんですよね。『死神』みたいにカップリング曲で作られてるのはあるのですが、あれは『LOST CORNER』に収録されてますし。

 とにかく特異な曲で、かなり昔の曲だしあまり知らない人も多いのではないでしょうか。

 でもめちゃくちゃ痺れる曲なんです。まるで米津玄師の作曲風景が浮かぶかのように、クリエイターに刺さる曲です。

 特に刺さる部分はまた後で語りますが、自分の頭に刻まれていて、ときたま思い浮かんでは僕を責めるのです。

 ちょっと愉快なようで五里霧中を歩くようなこの曲は、物作り人に覚悟を問いかける曲でした。

なぜオレはあんなムダな時間を……

簡単なことすらもう覚えてない

今どうしようもないほど間違いでいっぱい

頭の中ペンキ溢してしまったのさ

 何だか頭痛がするような歌詞です。

 倦怠感と停滞感に襲われ、物事がうまく考えられない状態のようです。

 後半にも語りますが、ペンキを“溢”してしまったとあります。何だか思わぬ失敗をしてしまい、溢すべきではなかったのに頭の中の容器がひっくり返って、ペンキをぶちまけてしまったように思えます。

明確な意志もなかったなら

今感情もなにもが信用にならん

ここがどこかさえわからないままでいる

 明確な意志もないのに感情が湧いているのはまさにペンキが溢れた事案なのかもしれません。こうやって感情を出したいとも思っていないのに、ただただ感情が垂れ流されている現状に強く不安を覚えているようです。

教えてよねえ 言えないまま 飲み込んだ言葉の行方をさあ

それはいつか血に流れては 体に溶け込むのだろうか

 言えない言葉があったようです。しかしその言葉は自らの糧となってくれるのでしょうか。そんな不安。

 そして、そんなわけない、飲み込んだ言葉は無駄になるだけだ、と皮肉めいて問うているのが『教えてよねえ~さあ』というニュアンスからは感じられます。

 言葉は発しないと価値を持たないというのは、誰しも経験がある事柄なのではないでしょうか。僕は小説を投稿したりしなかったりするのであります。

 でも米津玄師は常に言葉を発信し続けてるんですからすごいですよ。

ずっと目を塞いでいた

ずっと馬鹿馬鹿しいことばっかりやっきになって今

やっと気がついたんだ

やっぱ何処にもこうにも正解なんていないようだ

 正解なんてないことから目をそらして、馬鹿馬鹿しいことを──多分、正解を追い求めていたのではないでしょうか──していた。

 でも『やっぱ』正解なんて世界のどこにもいないんですよ。

 わかっていたはずなのに、なんて無駄で虚しいことで時間を無駄にしてしまったのだろうかという嘆きが籠められています。

しかし歩む足は、作る手は止めない

単純なことすらもうわからない

今ぼんやり燻る澱の中で

頭が痛い鮮やかな色に塗れて

どうだっていいのさそんなこと

今望んでいたものが何かも知らずに

ただただペンキ零していくだけだ

 しかしながら、考えるのを止めるつもりはないようです。煙が立ち込め、もやがかかっていて視界不良であっても、頭が痛くなるほどに、考えて考え続けているようです。

 もう開き直ってペンキを色をぶちまけていきます。たださっきは“溢”していたのと違って、こっちでは“零”しています。うっかりではなく意志を持って注ぐように色を塗り重ねていっているようです。

教えてよねえ 選ばぬまま 過ぎ去った道のその行く末を

そこでいつか出会えた筈の 誰かの生きていた証を

 人生は選択の連続です。以前紹介した『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』では選択一つ一つの先に並行世界がありました。

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 選択できなかった道の先にはいつだってその選択をした自分がいて、その時に築いた人間関係の中にいて、その時にすべきことをしているのでしょう。

 それを知る術はないです。過去に戻ることも、その並行世界を跨ぐこともできないので我々は今の選択をした世界を生き続けるのです。

そんな目を塞いでいて

どうもフラフラピンボケボンクラやっては大迷惑

こんな悲しいの中で

勝手やっても泣いても全然だ もうどうしようか

 確かに歩んでいるはずなのに、自分の歩みはフラフラで誰かにぶつかり、傷つけ、迷惑をかけ続ける。

 それが悲しいのに何をしても何にもならない虚しさ。

 他人まで巻き込んでしまう自分の無能さに飽き飽きし、空に問いかけます。答えはもちろん返ってこないのでしょう。

五里霧中で見つけたパラドックス

目を開け そうだ少なくとも

自分の塗った色くらいはわかるだろうが

 ここでようやく、目を開きます。そして言い聞かせるようにその色の責を問いかけます。

 自分のしてきたこと、自分が世に放って来た色の責任を取る。

 それが始まりの一歩なのかもしれません。

ずっと目を塞いでいた

ずっと馬鹿馬鹿しいことばっかりやっきになって今

やっと気がついたんだ

やっぱ何処にもこうにも正解なんていないようだ

 1番サビと同じ歌詞。しかし、直前の歌詞から繋げると、悟りを開いたようにも取れます。でも長く馬鹿馬鹿しい回り道と寄り道の果てに開かれた目に映ったのは、結局は同じ答え。それはなんだか虚しく聞こえる結末です。

それがただ一つの正解だ

 でもそれでいいと思えたんです。

 重要なのは、じゃあどうするんだ? ってこと。

 それを米津玄師は問うているのだと思います。

 答えがないのが答え。

 一見矛盾しているようで、それは簡単に解けるように思えます。

 僕は、好きにやっていく、それがいいのだと思いました。

 答えがないのなら、何をやっても式は成立するんですから。

 でも大切なのは時には振り返って自分の塗って来た色を見ること。

 それが、遠回りしてきた意味なんだと思います。

 そんな米津玄師の覚悟が見える曲でした。

 次回の米津記事は、『リビングデッド・ユース』です。

 また逢う日まで頑張っていきましょう。