サドル・ドーナツです。
反名作派
僕は今までの記事で再三申し上げました通り、映画が好きです……でも僕の体は名作を受け付けないのです。
僕はもう既に名作だと評価された作品を観ることを異様に避けてしまう――先天的な『反(アンチ)名作派』なのです!
究極の逆張り体質なのです!
「そんな馬鹿なことあるのだ?」

ゲェッ! 文字稼ぎ要員ザッキー!
「映画が好きなのに、良い作品を観ないとかあるのだ? 例えば何を観たことがないのだ?」
そうだな。具体的にはスピルバーグ作品とかあまり観ていないぞ。『レディ・プレイヤー1』くらいしか観てない。
一番誰かと会話をしていて痛感するのは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を一回も観てないことだな。金ローでやる時もチャンネル変えちゃったくらい。
邦画で言うと、新海誠作品は観たことがないな。黒澤明とかも観たことがない。名作ホラー『リング』とかも観たことがないし。そもそも何が名作とされているのか邦画はあんまりわからんぞ。
「それでよく映画好きとか名乗れるのだ」
ぐっ。
でもまぁ実際どうなんだろうな。ここで自らの分身体であるお前と、そこの話をしても意味がまるでないが。
これを読んでいるあなた的に、映画好きとしてマストの作品を観ていないのは映画好きと言えるだろうか? ぜひ教えていただきたい。
「露骨なコメント稼ぎはやめるのだ」
何で?
何……で、なんでしょうね?
「問いかけられても困るのだ。己の癖(へき)の答えを他人に委ねるななのだ」
うーん……
なんかこう、自分って人に褒められたいんですよね。承認欲求強めというか。
だから、他人からセンスあると思われたいんですよね。「この人色んなこと知ってるなぁ」とか思われたいんですよ。
「ふむふむ」
多分ここの価値観がひねくれてて、『人が知らないことを知っていること』がセンスいいと思ってるんですよね、僕って。ニッチな方向に行けばかっこいいと思ってるんですよ。
大衆性よりも希少性に重きを置きまくってるんですよ。
「絶妙な話なのだ。否定も肯定もしにくいのだ」
だから、他人が良いと思ってるものって、僕にとっては価値がないんですよ。他人が知っている物を知っていても当然で、センスが良いとは言えないから。
知られてないものを自慢している瞬間、僕は僕にセンスを感じるんです。
僕は隠れた面白い作品を掘り起こしている自分に酔っているんですよ。
ぜひ読んでってちょ↓
この記事で匂わせた米津玄師から心が離れた時って、『Lemon』直後くらいなんですよ。米津玄師がめちゃくちゃ売れたことで僕の中で『名作』判定になってしまって、「もう僕が推さなくてもいいか」ってなっちゃったんです。
「なんでなのだ。最後まで責任持って推すのだ」
責任というなら、僕はハジけるまで推し通したことで果たしてるんよ。そういう気分なのよ。
だから、映画も同じですよ。僕が今推してる映画とかも、売れたら推すのをやめると思いますよ。僕は多分そういう人間です。
「薄情なのだ」
「陰から支えていたぞ」と保護者面をしたいだけなのかもしれませんねぇ……
そもそも『名作』とは?
「そうなのだ。そもそもごすずんは何を以て名作としているのだ?」
そこなのよ。僕は『チャーリーとチョコレート工場』とか『スパイダーマン』とか『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』とかも観てるのよね。
それらは果たして名作ではないのか? どうなんだ?
「うーん……十分名作だと思うのだ」
ここら辺は結局曖昧だと思うのよね。
『ほんと映画を普段見てない人でも知っているような映画』を名作と捉えている気はするな。だけどもそれも自分目線の話だけどもね。
そもそも、名作を見分けようとしていること自体が傲慢なのかもしれないな、今思うと。
「そうなのだ。たかがネットの場末でブログやっている素人が判断できることではないのだ」
すっげー言うじゃん。
でも映画は好きなんです

いや、でも俺は言うよ。胸を張って。
映画のことが好きだって。
「そのこころは?」
いや、僕は常に新しいものを発掘しようと映画館に通ってるんだよ。それを否定することはどうしたってできないんじゃないかなって。
古きを知るのもいいけど、新しきを掘り起こすのも必要な行動だよ。その理念が多少利己的であっても、それは誰かがやらなきゃいけないことなんだ。
そもそも新旧それどころか古今東西老若男女どの分野を観ていようが、そこに貴賤はないんじゃないかな。きっとそうだよ。これは自戒も込めて言うことだけども。
「……まぁ、それは立派な心掛けなのだ」
でしょ?
だから、このブログでは王道を行くことはあんまりないと思います。映画に限らずちょっとニッチを攻めた所を語っていきます。ご了承ください。
今日はこんな所かな?
このGW中、雑記ばかりでごめんなさい。
明日は読めたら書くかもしれません。
というわけで。
See you again!