今、『デアデビル シーズン2』をゆったりと観ているサドル・ドーナツです。
さて、今回は前回と比べて規模は小さくなっていますが、かなり濃密な話となっております。
永遠のライバル、デアデビルとパニッシャーがそれぞれの理想を賭けて戦うんです。
ストリートに蔓延る悪、それを洗い流すのは慈悲の心か、それともそれ自身の血なのか……
やはり、こういう正反対の二人が哲学をぶつけ合わせる展開が僕は好きです。それに、ストリートレベルの話というのが、地に足がついているリアリティを肉付けしてくれてるのでいいですよね。
『デアデビル シーズン2』、パニッシャーが捕まるところまではこの記事を書くまでになんとか観終えたんですが、実写になるとなおさら重くなりますねパニッシャーのキャラクターは。そして頑丈すぎるよ。
あらすじ
キングピンの投獄で混乱する裏社会。その中で台頭するハンマーヘッド、そしてその裏にはジャッカルの影。
少なからず因縁のあるパニッシャーは彼らを付け狙う。だが、それを繰り返し止めに入るデアデビル。
同じ正義を求める二人のクライムファイターが、その思想の違いで争い合う――その轍には無垢な血が流れるとも知らず。
処刑人の失敗
今回の主人公はどっちかというとフランク*1の方で、彼がとある家族を巻き込んだことから物語は動き始めます。
とある家族が営む食堂に入ったフランクは、そこで働く娘のマリーに亡き妻のマリアの面影を重ねます。
そうして情が湧き、その店を脅しているギャングを皆殺しにしているところを息子のマーティンが目撃します。以降、マーティンは家族を守るために、銃を携帯し始めるのです。
これが、この家族の崩壊のきっかけになってしまうんですねー。
マーティンは家族を守るために殺人を犯し、最終的にはギャングの凶弾に倒れます。
殺人という因果は一般人が背負うにはあまりに重いものだったんでしょうね……
そしてもう一つ象徴的なのは、銃の歯止めが効かず通りすがりの罪無きホームレスを撃ってしまうことですかね。
パニッシャーの哲学は殺戮です。銃を撃ち弾丸をばら撒くことでしか、正義を成せないのです。
弾丸をばら撒く限り、何かの拍子で流れ弾が出てしまうこともあるでしょう。
それで誰かが傷つく可能性はゼロではないんでしょう。
ホームレスも、マーティンの家族も、その流れ弾に倒れた者達なのです。
それでもそれが正義だと主張するのは、やはり正しくないんでしょう。
だからデアデビル VS パニッシャーの結果は、デアデビルに軍配が上がった形になるのです。
それでもパニッシャーは進み続けますが。
デアデビル
しかし、デアデビルの方もそれでいいのか? という感じはします。
償わせるため、生かす。
それはまぁとても善いことだと思います。
でもマーベル市民って割とろくでもないからなぁ……ムショから出ても再犯する気マンマンですよ。一般の犯罪者でもその意気の人がいるんです、スーパーヴィランなんて改心は無理でしょう。
生かした彼らは何回も罪を繰り返す。その度に犠牲者は増えていくのです。
そのうず高く積まれていく犠牲者の山を見ても、彼は正義を掲げることができるのか?
今回はパニッシャーの負けという形になりましたが、彼らのどちらが正しいのかは非常に難しい問題です。
極端に合理的に考えれば、殺してしまえばそれ以外は誰も傷つかずに済む。
極端に理想的に考えれば、殺さずに済めば命は失われずに済む。
しかし、どちらも貫き通すにはあまりにも辛い道です。
一方は、そもそも殺すこと自体が罪であり、死体の山はどうしても築かれていく。その死人の周りにいる人のことも考えると取るべき選択肢だとは思えません。
もう一方は、人が必ず改心できるかはわからないですし、改心なんて未確定な現象に委ねてよいものなのかという問題が付き纏う。改心せずに、それか改心したと偽って罪を犯し続ける可能性は考えなければなりません。
人は100%合理的では生きられない。どこかに内的な綻びが出ます。
同じように、人は100%理想的には生きられない。どこかに外的な綻びが出ます。
結局我々は、合理と理想の狭間を彷徨いながら生きていくしかないのです。その狭間には、我々が羽を休める場所はないのだと思います。
この二人が戦うといつでも哲学的な話題になってしまいますね。
それ故に、両者はヒーローなのかもしれません。答えのない問いの中でもがき続けるヒーロー。
いや、僕は両方とも大好きですよ。デアデビルもパニッシャーも。
さて次回は『ケーブル&デッドプール:桃色の誘惑』です。
では、See you again!
*1:パニッシャーの本名
